フロントミッション/インドシナ半島紛争

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フォーチュンメディカル
Fortune Medical
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本拠地:O.C.U.シンガポール
創業:2068年
CEO:陳浩木
主力事業:医療器具、医薬品製造
その他事業:WAP用COM製造、兵器製造
CT装置、測定器などの医療機器、義手・義足、人工臓器製造、新薬開発を扱うメーカー。急成長を遂げ、カンボジアのカンポットほかO.C.U.内に複数の研究施設を持つ。同社はO.C.U.当局、U.S.N.バーゲストからS型マテリアル候補に関する詳細なデータベースを保持していると見られ、WAP開発および技術輸出などの違法活動と合わせてマークされていた。
ASA-9X
223
フォーチュンメディカル社がカンポットの研究施設に持つ、S型デバイスを搭載するWAP操縦システムの実験データ収集用機体。脚部は未完成で歩行できない。
U.S.N.軍による施設強襲時、バズーカ、キャノンなどの武装で応戦し、高い攻撃能力を示したという。機体・研究資料はその際に失われた。

  • 030
  • 時期:2097年6月〜
  • 地域:カンボジア北東部・O.C.U.ベトナム国境付近

2097年5月、O.C.U.カンボジアとO.C.U.ラオスがO.C.U.から脱退。独立同盟の結成を宣言。O.C.U.加盟国間の経済格差は東南アジア諸国において国力疲弊をもたらし、O.C.U.からの資金援助もなく反O.C.U.感情が増大。また、U.S.N.の対外政策の影響などで、内政不安が一気に高まっていた。
隣国に援助を求めた独立同盟は、国内への資本導入を決議し、国内安全保障規定を改正。これに対し防衛権を主張していたO.C.U.中央政府は、ベトナムの軍力増強を図り、その1週間後にカンボジア、ラオスへ侵攻を開始した。

クリフト政権下?で対外政策の力点を置いていたU.S.N.は世論の後押しも受け、独立同盟の支援を表明し、オクラホマII、エクリプスなど太平洋区域に駐留する艦隊の約4割を南シナ海に集結させた。
ストワイク・ワイバーンズを中心としたU.S.N.軍部隊は、ラタナキリ州ヤダウ市街を制圧後、カンボジア北東部のO.C.U.ベトナムとの国境にある迎撃施設を確保。これにより国境線が回復され、紛争は小康状態(事実上の休戦)となった。

以後、U.S.N.軍はカンボジア、ラオス各地に駐留。
紛争中、S型デバイス専用ヴァンツァーの実戦テストを行っていた?グリムニルの武装部隊とU.S.N.軍部隊が遭遇している。

紛争及びU.S.N.軍による国境防衛施設制圧作戦の経過

2097 5 O.C.U.カンボジアとO.C.U.ラオスが独立同盟を結成し、O.C.U.からの脱退を宣言。
    O.C.U.が独立同盟両国に対して経済制裁を発動。
    独立同盟が隣国へ経済救援を要請。また、国内への資本導入を決議し、国内安全保障規定を改定。これに対しO.C.U.は実力行使による防衛権を主張する。
  6 U.S.N.政府が独立同盟の支援を表明。オクラホマII、空母エクリプスをはじめ、太平洋区域の駐留艦隊から約4割を南シナ海へ派遣。
    O.C.U.軍がカンボジア、ラオスへの侵攻を開始(独立同盟の安保規定改正から1週間後)。新鋭ヴァンツァーを配備するO.C.U.軍はヴェトナムから?ジャングルを越えて都市部に到達。独立同盟軍は、歩兵によるゲリラ的な抵抗をするに留まる。
  6/22 U.S.N.軍はジャングルへの空爆でO.C.U.軍の補給路を分断し、ストライク・ワイバーンズによる強襲でO.C.U.軍占拠下のラタナキリ州ヤダウ(Ya Dav)市街に突入。制圧後、国道19号線に沿って?残存兵力を駆逐しつつベトナム国境へ東進。
  6/24 ストライクワイバーンズを中心としたU.S.N.部隊がラタナキリ州国境バクム付近の迎撃施設を確保。O.C.U.軍の反撃も受けるも、戦闘開始からほぼ1時間後?U.S.N.軍空挺部隊の増援が到着しU.S.N.軍が完全制圧。また、その戦闘中にU.S.N.部隊がグリムニル武装部隊、モーガン・ベルナルドと遭遇。
    国境線が回復し、紛争は小康状態に(事実上の休戦)。同盟は独立に向け準備を開始。
U.S.N.軍はPKFとしてカンボジア、ラオス各地に駐留。3か月間で実行した主要作戦の数は29。

U.S.N.軍によるフォーチュンメディカル社施設制圧

  • 030、223
  • 地域:カンボジア南西部カンポット

2098年3月1日、U.S.N.軍が、違法なヴァンツァー開発及び技術輸出をするフォーチュンメディカル社の総合研究施設(カンボジア、カンポット)を制圧。施設最下層の実験場にはS型B.D.を搭載し武装した実験データ収集用機体とBD転換手術者の詳細なデータベースが発見された。

同施設はバーゲストの調査により、グリムニルのWAP製造工場および新型B>D>研究施設であることが判明していた。PKFとして現地駐留し、同施設へ直接的介入の機会を得たU.S.N.軍はストライク・ワイバーンズを派遣。武力による制圧が行われた。

研究施設は、医療系研究開発機関であることから、突入の際には生物化学兵器の使用も警戒された。また、対電子戦対策機能を備えた施設であるため、電子戦対策制限が徹底された作戦が行われている。

本作戦遂行の際、作戦内容がグリムニル側に漏洩した形跡があることから、バーゲストらは内通者の存在を疑い始めた。

ワールドヒストリカの223ページでは、フォーチュンメディカル社は「2098年、O.C.U.軍に研究施設が制圧されている」とある。しかし、ゲーム本編ではまったくそのような描写はなく、上述の通りU.S.N.軍が行った作戦で制圧されている。掲載内容にまったく信頼が置けないので、その前の「O.C.U.当局にマークされていた」とする記述にも疑問が残る。
また、あれだけの設備と防衛用武装がある施設をO.C.U.が泳がせていた理由がよくわからない。危機感を感じていなかったのか、バーゲストほど十分な情報収集能力がなかったのか、O.C.U.内部に捜査を妨害する工作員がいたのか。
なお、U.S.N.介入後の同社の動向は不明である。

2098年3月までは、カンボジア・ラオス同盟とO.C.U.は休戦状態にあるようだが、その後どのように事態が収束したかは言及されていない。2098年といえば、アロルデシュでアザドのクーデターをアッシュが妨げている。もし、O.C.U.の思惑通りにアロルデシュのクーデターが成功していたら、O.C.U.政府と軍はインドシナとアロルデシュのどちらにもしっかりと立ち回れていたのだろうか。
2098年にアロルデシュでクーデターが成功していたら、カンボジア・ラオスにとっては反攻転機である。兵力や資産を分散されたO.C.U.相手に善戦し、完全独立を果たしていたかもしれない。だが実際は、クーデターは未遂で終わったことで、カンボジア・ラオスが独立することはなかったのではないか。両国の運命を決めたのは、すべてアッシュの行動に起因するのか?