フロントミッション/第2次ハフマン紛争参戦者名簿

項目別詳細

DARK ZONBI

部隊名

DARK ZONBI

2068年、青森県大湊基地にて創隊。
旧アメリカ合衆国の海兵隊をモデルに日本国特有の地理的要因下(占拠された離島への上陸、海岸線に点在する原発の防衛等)での運用を見据えた規模、装備として編成された陸戦隊の一部隊である。陸戦隊そのものは先の海兵隊が独立した軍であるのに対し、その任務特性から海軍指揮下となっている。

大湊陸戦隊は同県のむつ市沖の高速増殖炉『つつじ』と北方領土問題を担当する部隊として優先的に編成され、早くからWAPと航空兵力の装備を充実させていた。

第二次ハフマン紛争時には国内でも屈指の優良装備部隊とされ、その中から選抜されてハフマン分遣となったのが、特車第四中隊(通称:DARKZONBI隊)である。

兵力規模はOCU軍とは比べるべくも無いほど小規模だったが、紛争の始まりから終わりまで健在であり、OCU内での日本国の発言権拡大、サカタインダストリイやイグチ社といった国内のWAPメーカーのスキルアップに大きく貢献した。
ハフマン帰還兵の中でも日章カラーのWAPを覚えている兵士は多いとされる。 終戦と共に分遣隊は解散し内地帰還、原隊復帰。

氏名

Tatsu Kudoh

DARK ZONBI / O.C.U.日本国

メカニック専門パイロット 合理性を重んじる理論派

基本データ

  • 階級 : 大尉

OCU日本国海軍大湊陸戦隊特車第四中隊(通称:DARKZONBI隊)所属

開戦初期から終結まで、一貫してリペアバックパックを背負い続けたメカニック専門パイロットで『ゾンビ』隊の隊長でもあった。

率いた部隊の規模は小さかったものの、SQ発足から一度も解散させることなく終戦まで存続させた。ロジックを積み重ねた戦術を用いる理論派パイロットだった反面、非常に気性が激しく頑固者で隊員達も苦労したという。
自機に対する援護を怠ったアサルトには容赦なく叱責したが、逆に援護を心がけている味方機には自機を犠牲にしてでも支援を敢行する事もあった。

戦前からの軍縮の反動で装備が立ち遅れていた日本国軍のメカニック型WAPの運用法と、その確立に対しては多大な功績を残したとも言われる。

終戦後、部下全員を内地へ戻した彼は戦後処理の一環としてハフマン島周辺海域の掃海業務に従事した。戦後の混乱もあって所属と装備はそのまま彼に託された状態であり、愛機のWAPも伴っての任務だったという。
だが半年後、彼が乗組んだ掃海艦はロングリバース島沖合いで、テロ組織『ハフマンの魂』が敷設した音響機雷に触雷し沈没。彼は燃料流出によるロングリバース島への環境被害を懸念して、総員退艦令が出ているにも関わらず格納庫にあった愛機を起動、船内から燃料タンクの修理を行って燃料流出を食い止めた。
しかし、艦への浸水は手の施しようがなく、そのまま彼は艦と運命を共にした。

終戦が締結した日、彼が隊員達に本国へ帰るよう命令する時言った言葉が彼という人物を一言で表している。
『お前達は十分義務を尽くした。古い日本の為に死ぬべきではない、新しい日本の為に生きろ。』
後にサルベージされた際、彼はWAPの中で戦争中肌身離さず持っていた連隊旗を抱いて亡くなっていたという。

復員していく兵士が多い中、祖国を想い続けながらもハフマン紛争の全期間を戦い抜いた日本国軍人として唯独り残ってハフマン島の復興に貢献した彼を、ハフマン島民たちは敬意を込めて『最後の日本兵』と呼んだ。