強行偵察隊
- 所属 : O.C.U.陸防軍ハフマン島駐留部隊
- 隊長 : タロー・ヤマダ O.C.U.陸防軍中佐
- 副隊長 : ジェイク・リー O.C.U.海防軍少佐
- 先任参謀 : マーサ・エステベス O.C.U.空防軍少佐
O.C.U.陸防軍ハフマン島駐留部隊の中で、前線ではなくU.S.N.占領区エリア08への強行偵察任務を一手に引き受ける部隊。
敵陣の占領は行わず、偵察及び破壊活動に特化している。
U.S.N.占領区の補給路(通称ミニトン)分断作戦に数多く従事しており、その他にはジオフロント下層における破壊工作も多かった。
U.S.N.占領区エリア08に展開するO.C.U.部隊は、陸防軍・海防軍総海部・その他所属の別を問わず強行偵察隊の指揮下に入る。
軍種を統合した統合部隊的な性格を持ち、隊長は陸防軍だが、副隊長は海防軍、先任参謀は空防軍からそれぞれ派遣されている。
前線の状況によっては部隊のうち数個中隊単位で前線の援軍として派遣されたり、前線が膠着した際には逆に前線から数個中隊単位で援軍が入ることもあった。
Charge?、N.A.S.S.O等、強行偵察隊の専属部隊として勇名を馳せた部隊も数多い。
紛争末期にはU.S.N.軍のOperation Willy-Willyへの反撃、並びにO.C.U.軍のOperation Eagle Tearsへの加勢の為、指揮下WAP部隊の殆どは前線へと派遣され、事実上活動を停止。
停戦後にはU.S.N.領への強行偵察は行うわけにもいかないということで、O.C.U.陸防軍ハフマン島駐留部隊の中で真っ先に解散した。
戦死者もさることながら、敵陣奥深くに入る任務ゆえに、行方不明者も多かった。
その大半は停戦後も行方不明か、U.S.N.側で捕虜となった記録があっても、移送されてその後の足取りがつかめない場合が多かった。
バイオニューラル・デバイス計画の犠牲になったと推定されてはいるが、サカタインダストリィ事件発覚後も彼らの運命は杳として知れない。
O.C.U.陸防軍ハフマン島駐留部隊の中で、前線ではなくU.S.N.占領区エリア08への強行偵察任務を一手に引き受ける強行偵察隊の指揮官。
とは言っても見た目は好々爺そのものである。奇行が多く、部下の兵士からも「変なじいちゃん」と思われているが、彼自身は占領区奥深くへと入り込んだ若い兵士達が無事に帰ってくるかどうかいつも心配している。
紛争終結直後に退役。
強行偵察隊、O.C.U.海防軍総海部 / O.C.U.シンガポール
本来のポストはO.C.U.海防軍メナサ基地副指令だが、強行偵察隊副隊長も兼任している。
海防軍総海部の少佐として、WAPによる上陸作戦・水際からの奇襲作戦等の経験を積んでいる。その為WAP運用と同時に上陸用舟艇の運用・指揮の資格を持つ。
強行偵察隊では副隊長として、主に揚陸艇による上陸と撤収の指揮を執る。
その撤収任務中、味方のWAPパイロットを迎えに行ったはいいものの、機体しか残ってないという事象に頻繁に遭遇した。
サカタインダストリィ事件発覚後、上層部に上記事象とバイオニューラル・デバイス計画との関連の調査を上申したものの、上層部はあまり乗り気でなく、また行方不明者の足取りはほとんど掴めなかったという。
紛争終結後は引き続きメナサ基地副指令を務めていたが、上記上申直後に本国へ異動。
その後O.C.U.キリバスに赴任、2094年のU.S.N.軍によるO.C.U.キリバスフェニックス諸島ミサイル施設強襲作戦において防衛部隊の一翼を担って奮戦するものの、戦死。
強行偵察隊、O.C.U.空防軍 / O.C.U.フィリピン
本来のポストはO.C.U.空防軍バリンデン基地強行偵察ヘリコプター部隊隊長だが、強行偵察隊先任参謀も兼任している。
空防軍代表として強行偵察隊における航空機支援の全てに責任を持ち、WAP各部隊のヘリによる移動スケジュール立案・撤収計画の調整・偵察ヘリや攻撃ヘリの手配等を一手に引き受け実施している。
その為、強行偵察隊の作戦計画の殆どを事実上立案しており、強行偵察隊の真の指揮官は彼女だとまで言われる。
ヘリ部隊は、特に偵察ヘリや攻撃ヘリは、WAP部隊以上に危険の伴う任務ということもあって、戦死者の割合はWAP部隊より高かったとも言われる。反面、行方不明者は比較的少なく、従ってバイオニューラル・デバイス計画の犠牲者も殆ど出なかった。
その為か、紛争終結後もエステベス少佐は行方不明者の足取り追求に首を突っ込むようなことはしなかったという。
紛争終結後は引き続きO.C.U.空防軍バリンデン基地にて勤務、輸送ヘリ部隊の指揮を執る。
その後も順調に昇進、最終的にはO.C.U.空防軍中将まで上り詰めて退役したという。