ボルヒェルトのその後を追う。
(ベスト)エンディングでは、WAで活躍した者として語られるのはエンコモとイレオのみでボルヒェルトは登場しない。それは彼がすでにアフリカにはいなかったことを意味する。無論、彼の貢献度からいって、エンコモやイレオに、このままWAに残るよう言われたことは間違いない。しかし、ハイネマンの名を知った今、彼にはアフリカに平和をもたらすことよりも、大切なことがあった。決着が着いたら必ずアフリカへ戻ってくることを告げ去っていた。
ところで、ハイネマンはどういった企業だったのだろうか。オルタナティヴでは、物語の終盤のワンシーンで語られるのみで詳しいことは明かされない。セカンドではボディとCOMを製造していたことがわかる。シンセミアによれば2030年にハイネマンの依頼で、自分らがシュネッケの北アフリカ先端技術研究所を襲撃し分子素子ユニットを強奪。ランドルト博士を殺害したという。
研究所を襲わせたのは、シュネッケがハイネマンにとって同じ市場の脅威だったからであり、研究所・同博士の技術がその切り札となりそうだったからではないか。また、後にサカタがハイネマンを買収したのは、サカタが参入しようとするヴァンツァー製造業の実現に適う高い技術力・ノウハウを見込んでのことであろう。
つまり、ハイネマンはシュネッケと競合する兵器メーカーであったが、WAW開発の先人を切ったシュネッケに数段優位な展開となってしまった。シュネッケはランドルト博士というアクチュエーター開発者を抱えこみ、需要の見込まれる新たな兵器さえも実現しようとしていた。WAW技術の確立は急務であったが、競合企業であるハイネマンには、WAWの共同開発に際して声がかかることはなかった。WAW技術をもつ企業も少なく、他から技術を得ることも難しい。そこで、強硬手段で敵の肝を潰そうと研究所襲撃を画策した。そして、襲撃は成功する。しかし、アフリカ紛争勃発によってWAW需要が急激に高まりシュネッケの勢いが増す。
次に、なぜボルヒェルトがWALFにいたのか考えたい。彼は父親のランドルト博士と研究所におり、ハイネマンから依頼を受けたシンセミアに襲撃された。ボルヒェルトはそこでシンセミアのトレードマークとなっている交差十字を目にし、それを手がかりに襲撃犯を捜しはじめる。交差十字は傭兵部隊シンセミアのトレードマークであることを知り、その時の彼らはアフリカを主戦場としていることを掴んだボルヒェルトはアフリカ各地を転々とした。その頃のアフリカは変革期にあり紛争・内戦が絶えず危険ではあったが、逆にシンセミアの稼ぎどころでもあり、彼らを見つけるには好都合だった。シンセミアがシュネッケからWAW供給を受けていたことがボルヒェルトの情報収集に有利な働きをしたかもしれない。
ところがIMACと出逢った時、ボルヒェルトはシンセミアを追跡するのではなくWALFの主要メンバーとしてギゼンガ政権と争っていた。イレオの友人として紹介されるので、彼とは旧知の間柄であったのかもしれないが、死の危険がある戦場に立つには「知人」であるだけでは動機が弱い。
改めて確認するが、ハイネマンもシュネッケも戦争屋・武器商人である。紛争地帯に新しい兵器を次々と送り利益を上げている。「どちらの兵器が優秀か」は「どちらが破壊力や殺人能力が高いか」の換言であり、企業はその能力を競い合っている。その競い合いのため、ボルヒェルトの父親が殺された。彼はシンセミアやその黒幕(ハイネマン)を恨んでいたのと同時に、戦争という根源的なものも憎みはじめたのかもしれない。もとは彼も商人の一味であったことで「償い」も含んでいたとも考えられる。ECの臭いがするところにシンセミアの姿ありと踏んだボルヒェルトはギゼンガ台頭で揺れるWAへ向かい、ギニアナしいてはECと戦うことを反ギニアナ派の先鋒であるイレオに協力を申し出た。すでに面識があったかどうかは定かではないが、メカニックとして優秀で、WAW技術に精通しているボルヒェルトを、WAWに苦しむイレオは快く受け入れただろう。
IMACに参加したことで、ついにシンセミアに対して黒幕を問う機会に遭遇した。そこでようやくハイネマンの名を聞き出すことに成功する。黒幕を知ったということは、ボルヒェルトの復讐は実行段階に移ることを意味する。
この復讐を「肉親の仇をとるため社長や重役を殺す」という古典的な発想で終わりにしてしまうのはフロントミッションにはふさわしくないし、ボルヒェルトらしくない。第一、ハイネマンの誰が殺害・襲撃を示唆したのかまでは定かでなく、最初の指示を下した人物を殺したとしてもボルヒェルトは罪人として裁かれる可能性が高い。捕まらなかったとしても、仇とはいえ殺人者として生きていかなければならない。ボルヒェルトの理想はもっと高く、ハイネマンを企業としての地位を失墜させることだったのでないか。
後にWAPメーカーが新興されてるところをみると、ハイネマンインダストリィは後にWAP技術をある程度のレベルまで引き上げることに成功していたのかもしれない。しかし、2060年に坂田製薬(サカタインダストリィ)に買収された。何らかの原因で経営力が弱体化し、OCU資本に買われたいう推測は容易にできるのだが、アフリカ紛争終結は2035年で、買収まで25年も経過しているので、弱体化の原因とボルヒェルトの復讐を単純に結びつけるのはいささか強引過ぎるように思える。はたして、ボルヒェルトは何もできなかったか。
いや、ボルヒェルトは彼にしかできない方法でじわじわとハイネマンの息の根を止めようとしていた。ハイネマンを躍進させないために重要なのはシュネッケ優位を維持することである。『サード』ではECが舞台となっていないため影は薄いが、おそらくECでの支持は高く、WAW誕生から80年あまりの間、繁栄を維持し続けヴァンツァー業界のリーダーとして君臨している。その影にはボルヒェルトの陰謀があった。
ボルヒェルトはハイネマン潰しのためシュネッケへ戻り、ハイネマンに付け入る隙を与えないよう、WAW関連技術を厳しく監視した。具体的には、アクチュエーター使用に関してライセンス制を導入するなどし、ECでいえばセンダー、トローなどWAWメーカーを一部に限定させた。その間、MULS−P規格を制定しヴァンツァー時代へ突入する。この段階でMULS−Pに参画していない企業は絶望的な出遅れとなる。
各企業は高品質なヴァンツァーを提供していたが、MULS−P規格を導入したとはいえ、依然として高価であった。となれば、安定した品質のヴァンツァーを安く提供しようとする企業が出てくる。そうした動きがイタリアであり、バザルト、バレストロというメーカーへアクチュエーターのライセンスを付与する。これはシュネッケなどMULS−P初期参画企業には好ましい行為ではないのだが、国防費の低い国でのヴァンツァー普及を狙った業界全体の戦略ということにする。これによりヴァンツァー市場はすべての価格帯の商品が出揃い、新興企業の参入は難しさを増した。
そこでようやくアクチュエーター技術仕様が公開され、ヴァンツァー以外の製造で食いつないでいたハイネマンも開発に着手するが、市場に彼らの居場所はなく細々と経営を続けていくしかなかった。先に述べたようにボディとCOMの生産をしていたわけだが、これを都合よく解釈すれば、この二つにはアクチュエーター(駆動パーツ)は重要でないともいえる。アクチュエーター技術の出遅れが後々まで影響し、パーツの開発分野が制限された。そこへ坂田製薬の買収が持ちかけられ、吸収合併される。倒産という劇的な幕切れではないにしろ、ハイネマンの名は業界から姿を消したことになる。あのシュネッケと競合していたメーカーが失墜していく様、によってランドルト家は報われたとしておきたい。
その後、ユージン・ボルヒェルトはシュネッケを去り、WAにヤギサワ式レールガンの本格配備を実現すべく、老いてもあり余る闘志を燃やしているとか、いないとか・・・
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