FMO-Shimasyo、Shimasyo OCU、ABERDEEN / U.S.N.
- コードネーム : マッサア・ブラッドレイ(Massaa.Bradley)
- 階級 : 准尉長
- 所属 : U.S.N. 国防総省 F.I.A.(連邦情報局)外報部 実行部隊、U.S.N. 陸軍 傭兵部隊[FMO-Shimasyo](正式部隊名はGO FOR FREEDOM)、O.C.U. 陸防軍 第2軍機動部遊撃機動隊第2小隊[Shimasyo OCU](正式部隊名はWarlock)
2089年、フェイスレスと同様、吸血部隊に捕らえられパペット・ソルジャー・プランの被験者となる。
しかし、実験は失敗し、闘争本能、運動能力、反射神経が強化されるどころか弱体化し、精神的な数々の問題を抱えることになる。廃棄処分が決定されるが逃亡に成功。
その特殊な経歴を買われU.S.N.のF.I.A.のエージェントとなる。
第2次ハフマン紛争後期に、パペット・ソルジャーおよびバイオニューラルデバイスに関与する組織の調査というF.I.A.の任務を受け、U.S.N.陸軍の傭兵部隊小隊長として参戦。しかし、F.I.A.の思惑に従わず、独自の信念に基づいた活動を始める。
兵士を消耗品と考える「世界の思惑」に抵抗すべく新兵傭兵を募り、「生き残る術」を伝えることに奔走する。また、その活動は、U.S.N.内のみに留まらず、O.C.U.内でも同様の活動を行っていたが、どのような経緯でO.C.U.内でも同様の活動が許されたのかは不明。
戦闘ではリペアBPやECM BP、センサーBP、ラジオBPなどを好んで使用。SGSWアサルトで出撃することは稀であった。
その特異的な活動から、早くからフレデリック・ランカスター記者に注目され、再三の取材依頼を受けていたが頑なに無視し続けていた。
しかし、第2次ハフマン紛争末期に1回だけ返事をしている。その内容は「すべてが終わった後に貴殿にビデオレターを送る。その内容を公表するか否かは貴殿に委ねる」というものであった。
2091年8月9日、キャニオンクロウのモーガン要塞潜入の混乱に乗じ、傭兵部隊の活動を通じて同志となっていたO.C.U.兵と結託し、要塞守備戦隊の排除および砲塔への攻撃を行う。これは、第2次ハフマン紛争の終結を早めるための独自の判断と思われる(たった2機で、モーガン要塞の3基の要塞砲に致命的なダメージを与えたが、U.S.N.はその事実を認めていない)。
停戦後、U.S.N.から追われる身となるが以降の消息は不明である。あるテロリスト集団に参加したと噂されるが真偽は定かではない。
なお、コードネームは本名に由来するという説と、「massacre」をもじったという説がある。