I.M.A.C. 独立機動攻撃中隊

参考項目

フォーラム

関連語・人物

ブラスティ
Blassty
E.C.とシュネッケがアルジェリア北部に建造した地下秘密工場内で鹵獲したレーザー発信ユニットをWAWに装備できるよう、ボルヘルトとキシュが改造したビームキャノン。命名はキシュによる。

概況

IMAC部隊章

2034年勃発したアフリカ紛争時、O.C.U.陸防軍編成によるSAUS軍情報部直属の特殊攻撃部隊。戦闘用WAWを使用した初の実戦部隊として、歴史にその名を残している。活動機関は1年足らずであったが、その優れた任務達成率は各方面で評価され、アフリカ紛争終結の影の立役者ともなった。

IMACは3小隊と後方支援隊から構成されるが、当初、中部アフリカ支援作戦時は、O.C.U.軍からの派遣人員からなる第1小隊とSAUS陸軍後方支援連隊より1名が投入されたのみであった。WAW導入に積極的であったSAUS軍は徐々に自軍から人員を拡充し、最終的には3小隊と後方支援3名となった。

安価で高性能のWAWを独自の工場で製造し、闇ルートで売買をしていたグスタフ・ゼルマンが和平会議襲撃を計画していたが、これを阻止している。

項目別詳細

略戦歴

IMAC戦歴地図

CA地域でのZAINGO壊滅作戦では、その侵攻を食い止め、本拠地であるニアンゴ山岳要塞を攻略。後、最終拠点となっていたチャド湖東の補給基地において、壊滅状態に追い込んだ。この段階で、既に3小隊が出揃っていた。OCU・SAUS軍会議で高い評価を受けたIMACは以後もアフリカ駐屯の命令が下された。

ZAINGOのクーデターでWALF支援が滞っていたCAが、再びSAUSのバックアップを受けギニアナに対する対抗活動を開始し、IMACもその対抗に参加。レッキ新港における戦闘で、シンセミア小隊との交戦でファーフィが戦死。そのファーフィの後を担う形でWALFのボルヒェルトが部隊に加わり、WALFと共に本拠地ラゴス・ヤバ地区を制圧。ギニアナ軍事政権は崩壊に至る。

OAC決議によって編成された共同体連合ギゼンガ追討部隊に参加。UNAS領内での戦闘が全面紛争となることを避けるためエンコモとジェバールとの直接対話が行われ、追討作戦は中止されるが、シンセミア小隊に殺害されたギゼンガが発見される。

表面上は紛争が終結したことで、その存在意義が失われたIMACであったが、ECがアフリカでの影響力を増大させるため派遣されたゼルマンによる、闇兵器の製造が露呈。さらにゼルマンによる和平会談襲撃に対し、ゼルマン討伐作戦を実行する。ティムガッド遺跡におけるゼルマン部隊との戦闘を最後に部隊は解散。

組織関係者

 
1999.3.3−(35歳/2034)M177/---A型Rh+SAUS軍作戦指令情報部SAUS軍大佐アフリカ紛争時には独立機動攻撃中隊の司令官を務めた。
 
2010.10.20−(24歳/2034)M181/---A型Rh+OCU陸防軍/SAUS軍独立機動攻撃中隊第1小隊(中隊長兼小隊長)OCU陸防軍中尉アフリカ系とアイルランド系のハーフ。OCU陸防軍の少尉であったが、WAWのテストパイロットとしての操縦経験を買われ独立機動攻撃中隊隊長に就く。これにより中尉に昇進。ブレイクウッドとは旧知の間柄である。IMAC解散後もアフリカに残り、武力闘争に参加した。一連のアフリカ絵の貢献を称え「リアル・マッコイ」と呼ばれる。
 
2004.10.11−(30歳/2034)MWALF/SAUS軍独立機動攻撃中隊第1小隊元シュネッケ社北アフリカ先進技術研究所員?エイモス・ イレオの友人として「戦士の槍」・WALFに参加。戦いぶりから“雷神シャンゴ”と民衆に称えられる。独立機動攻撃中隊のファーフィー准尉の殉職後,試作のTCKのテストを兼ねて独立機動攻撃中隊に参加し、WA復活後もパイロット兼メカニックとしてIMACに協力。ランドルト博士の子。本名:ミハエル・ランドルト。
ブルース・ブレイクウッド
Bruce Breakwood

2009.8.17−(25歳/2034年時)M188/---O型Rh+OCUオーストラリア?OCU陸防軍/SAUS軍独立機動攻撃中隊第1小隊OCU陸防軍少尉イギリス系オーストラリア人。アフリカ紛争時、SAUS軍の中部アフリカ支援作戦に伴い,マッコイ中尉と共にOCU陸防軍よりSAUSへ派遣された。マッコイとは入隊以来の戦友。 子・ウィラス、孫・ナタリーとも陸防軍所属。
ダル・ファーフィー
Dal Furphy

2012.3.15−2034(21歳/2034年時)M178/---A型Rh+ジェイドメタル/OCU陸防軍技術指令部技術研究所/SAUS軍独立機動攻撃中隊第1小隊OCU陸防軍准尉ジェイドメタル社(当時)のエンジニア兼テストパイロット。アフリカ紛争時、IMACのWAWメンテナンス要員としてSAUSに派遣されたが、実戦データを得るために自ら操縦者となる。作戦行動中、WAのレッキでシンセミアと交戦中に死亡。
ピーター・リキン
Peter Liking

2006.8.21−(28歳/2034)M185/---B型Rh+SAUS軍独立機動攻撃中隊第2小隊SAUS軍少尉アフリカ人。独立機動攻撃中隊第2小隊隊長。SAUS軍直属の兵士としては初の戦闘用WAWパイロットのひとりであった。
マンリー・ベニサド
Manly Benissad

2009.1.5−(25歳/2034)M176/---A型Rh+SAUS軍独立機動攻撃中隊第2小隊SAUS軍曹長アフリカ人。第2小隊の統率を守るペースメーカーとして戦闘以外でも活躍。
ジョー・オノサイ
Joe Onosai

2009.1.1−(25歳/2034) M180/---O型Rh+SAUS軍独立機動攻撃中隊第2小隊SAUS軍伍長西サモア系アフリカ移民。
ノーマン・ライツ
Norman Reitz

2003.4.1−(31歳/2034)M174/---B型Rh+SAUS軍独立機動攻撃中隊第3小隊SAUS軍少尉アフリカ人。IMACの第3小隊長。
ブラハム・マグナッソン 
Buraham Magnusson

2015.8.17−(19歳/2034)M190/---A型Rh+SAUS軍独立機動攻撃中隊第3小隊SAUS軍軍曹北欧系アフリカ移民。
マックス・バスターナック
Max Busternack

2016.2.29−(18歳/2034)M186/---A型Rh+SAUS軍独立機動攻撃中隊第3小隊SAUS軍伍長ポーランド系アメリカ人アフリカ移民。中隊最年少ながらWAWに対する順応性は高かった。
チャミリ・フィリシター 
Chameli Firishtar

2014.5.25−(20歳/2034)F(性転換後)169/---O型Rh+SAUS軍独立機動攻撃中隊第2小隊/SAUS陸軍後方支援連隊SAUS軍少尉インド系アフリカ人。性転換して女性になった。アフリカ紛争時には、中部アフリカ支援作戦開始当初より後方支援部隊の小隊長として配属され,主に第1小隊の支援を担当。
 
オットー・ボギナール
Otto Boguinard

2000.4.3−(34歳/2034)M171/---AB型Rh+SAUS軍独立機動攻撃中隊後方支援部隊SAUS軍曹長アフリカ人。第2小隊の支援を担当。もと調理師。作戦中のみならず隊員の心身面のサポート役として活躍。重機の操縦にも長ける。
 
ヴィオラ・キシュ
Viola Kiss

2015.6.23−(19歳/2034)M175/---B型Rh+SAUS軍独立機動攻撃中隊後方支援部隊SAUS軍伍長第3小隊の後方支援を担当。支援要員としての適正に優れ、メカニックとして高い能力を持つ。重機・ヘリ・トレーラーの操縦をこなし、兵器のカスタマイズなどを得意とする。