核保有国と対等な関係で外交を展開するための力の象徴を得るため、USN軍が実用化したMIDASを内閣承認の下、日防軍が強奪。積極的防衛策を掲げる日防軍の思想とも合致した計画ではあったが、MIDASの奪取成功に安堵し、変化のみられない政府に軍部の右翼派がクーデターを蜂起し、首相の身柄とMIDASを確保。
佐々木参謀長を首謀者とする軍部によるクデーターが発生。反佐々木派を牽引していた武村大佐は、佐世保基地に熊本第8師団など宮崎・鹿児島の兵力を結集させようとしていたが、佐世保基地司令の河田が佐々木派に加わることを察知し、集結しつつある部隊に帰還解散命令を下した。河田司令は武村の身柄を拘束。
酒天童子山にて田中率いる福岡の第4師団が政府軍側の小編成部隊と交戦。その隙をついて、熊本の第8師団は熊本基地(谷山司令)へ帰投し、合わせてを宮崎、鹿児島の各部隊が熊本へ集結開始。
大漢中軍がMIDAS奪取を目的に沖縄海洋都市に侵攻することを憂慮したクーデター軍は武村少佐を停戦提案の使者として熊本に送り、政府軍はこれを受諾し、クーデター終結。しかし、佐々木や黒井少佐など一部の部隊が反抗活動を継続。特殊部隊黒井と佐賀の部隊が第8師団の無力化を試みて2度の侵攻を行うがいずれも失敗。政府軍部隊の熊本基地集結が完了する。
クーデター軍は福岡、久留米、佐世保の部隊を再編成し、大牟田経由と阿蘇山経由の2ルートで侵攻を開始。政府軍は阿蘇山麓と大牟田市に展開し迎撃し、クーデター軍は撤退。
ルカーヴ・ミナエフがM.I.D.A.S.奪取の作戦として大漢中艦隊とイマジナリー部隊を日本へ派兵し、沖縄海洋都市全域と沖縄本島の一部を制圧。この事態を憂い、武村は停戦を佐々木参謀長に打診。佐々木はこれを受諾し即時停戦。
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赤■‐クーデター軍(佐々木派)、青■‐政府軍(反佐々木派) |