(2112年夏頃?)日防軍が極秘作戦でUSN・アラスカの放射線研究所からMIDASを強奪。これをオリジナルとしたMIDASのコピー2基が、横須賀基地で大学の研究者らにより製作された。コピーはそのまま横須賀基地に置かれ、MIDASオリジナルは沖縄海洋都市のプライマリィ・ブロック地下部に移送された。
同年10月31日、MIDASコピーの1基が横須賀の日防軍施設内で暴発。すでに水面下で、各国に潜伏するラーヴヌイのエージェントが、各国情報部へ向け「MIDAS強奪は日防軍によるもの」という情報をリークしていたが、この爆発事故によりMIDASの所在が明白なものとなり各国の関係機関が調査・作戦を開始。この段階での各国のMIDASに対する認識は、“唯一のコピー”が暴発し、オリジナルが日本のどこかにあるという情報を掴んでいたにとどまり、2基目のコピーの存在には気づいていなかった。
OCUは日防軍にオリジナルMIDASの引渡しを要求。これに対して日防軍はオリジナルを沖縄に保持しつつ、爆発を逃れたもう一つのコピー(日防軍では「標的A」と呼称、制御系が一部改変されている)とコピー製作に携わった科学者を厚木基地を経由してフィリピン・タール基地へ移送することでオリジナルの存在を隠し続けた。
MIDASのフィリピン移送に伴い、内戦状態にあるフィリピンはMIDASを追う各国の干渉を受けた。特にFIAのエージェントとして行動し、大漢中とも内通していたミナエフは難攻のタール基地への侵入を成功させるため、政府軍と反政府軍(PLP)の膠着状態にある内紛を激化させ、混乱を利用しようと画策。大漢中情報部を通じて、大漢中軍にPLP軍の支援を促す。計画通り国内は混乱(11月8日〜)し、FIAパープルヘイズのヴァンツァー部隊がタール基地への侵入に成功する。しかし、大漢中軍の侵攻に恐怖を感じたタール基地司令のフォーサイスが独断でバタンガス沖にMIDASを投下。大漢中艦隊は壊滅するが、市街にも甚大な被害が出た(11月13日)。
MIDASがすべて失われたと判断した各国は、開発関係者の確保へ作戦内容を切り替える。大漢中が一時的にMIDAS開発者のE.クラムスコイ博士の身柄を拘留するが、大漢中とも内通していたミナエフの裏切りにより拉致され、博士は大漢中の手を離れた。オリジナルのMIDASを切り札に据えた日防軍が、クーデターを蜂起(11月下旬)。
日防軍はオリジナルMIDASの存在を隠したままであったが、ミナエフは「日防軍が強硬手段をとっているのは、切り札(MIDAS)を保持しているため」と推測し、日防軍と接触してMIDASの隠蔽場所の情報収集を行った。場所を特定する情報を得ると、沖縄海洋都市へ渡り、MIDASの現物を見ることでその構造を理解した後、MIDASを起爆。ミナエフを追跡していた日防軍指揮下の部隊(武村和輝ら)の処置により、MIDASの隠蔽された区画が都市本体から切り離され、爆発による被害はその一区画に留められた。ミナエフは、日防軍指揮下の部隊との交戦後、行方不明。
一連の事件後、被爆国であるフィリピンを中心にMIDAS技術の凍結とその監視組織の設立が提言された。